彼の儀式

1988年の夏は暑かった 
部屋にはエアコンがなかったから
産業道路を渡った向かいのコンビニが涼む場所だった
 
ここらの小さな町工場は朝も昼も夜も働いてる。
 
そんなに稼いでどうするのかと隣の工場長に聞こうと思ってたら
土曜の朝、火事になってその工場はなくなってしまった。
 
彼は寮に住んでた。
寮といっても会社が借り上げた小さなアパートに三人で住んでいる
みんな同郷だったから、気心はしれている、でもそれがストレスになるときもある
 
一人になりたいとき、
彼はこうして産業道路沿いをひたひたと夜歩く。
 
くわえタバコのまま、世捨て人のように
おそらくそんなとき職質でもされたら彼は言い訳のしようもないくらい
怪しい人にみえる。
 
多摩川の大きな橋の真ん中まで歩いたら彼は身を投げる
ドボンと水しぶきをあげて、彼の体は羽田のほうにながれていく。
ここで彼は死んだ。
 
ここで彼は何度も死んだ。
流れていく自分の死体を確認して、彼は新しく生まれ変わる。
明日もがんばろうと
 
それが彼の儀式
 
彼女に出会う前の彼はそんな男だった。